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瞑想の場所
瞑想の時間
ソーハム瞑想
光の瞑想(光明瞑想)

 

瞑想の場所

「場所は、地面より1インチから2インチ高い位置がよい。ドゥルバ革のマットを敷きその上に鹿の皮を敷いて、更に薄い白布を敷く。そして、パドマ・アサーナ(結跏の姿勢で座る。つまり、右足を左足の上に、左足を右足の上に置く。両手を体の前に置き、指が互いに触れるようにする。目は、閉じるか半眼にする。そして心を落ちつかせ、首、肩、手、胸、歯、胃、指、背中、もも、膝、ふくらはぎなどをリラックスさせる」

 サイババは地球の内部には電流が流れていることや、さらに人びとの想念が渦巻いていると指摘する。したがって、直接地面に座らないことを勧めている。
 結跏(けっかふざ)で座れなければ
(はんかふ ざ)(右足のみを左足の上に置く)でもよいし、それも苦痛であれば、正座や他のもっと楽な座り方でもよい。ただし、その際には背筋をまっすぐにすることが重要だとサイババ は言う。

『(瞑憩の際)まっすぐ座ることは重要なことだ。
 からだが直立していれば、生命の力はそれをまっすぐ昇ってきて、心は深く集中することが可能となる。ちょうど避雷針が落雷を誘うように、まっすぐな体は導体となる。そして神聖な力が体と言う神殿に入り、人を成就に導くのだ』

 『瞑想のために座ったら、先ず神を讃える詩歌を唱えなさい(バジャンのこと)。それにより、散漫になりがちな想念を一つにするのだ』
 『次に、神の御名(オーム スリー サーイ ナターヤ ナマハ)を唱えながら、その神の御姿を心に描きなさい。心が御名から離れるようなら神の御姿に心を戻し、御姿から心が離れるようなら御名に戻しなさい。こうして、あなたは容易に自分の心を従えることが出来るようになる。
あなたの想像した神の御姿は、ハートに訴える情熱的な姿に変容し、記憶に残るだろう。そして、神はその姿をとって、あなたの願いをかなえるだろう』
 この修養法は、ジャバ・サヒタ・ディヤーナと呼ばれる。その際の神の御名、神の御姿は、何を選んでも構わない。サイババは、自らの信仰に応じてどんな名や姿を選んでもそれは結局唯一の神を礼拝したことになるのだと言っている。そして、初心者に最適の方法として、あらゆる人にこの方法を勧めている。

 『最初から、長時間集中出来ないといって嘆いてはいけない。
自転車に乗る時でさえ、我々は最初からバランスをとることは出来ない。広場まで自転車を押していって、左に傾いたり、右に傾いたり、倒れたりしながら練習する必要がある。そして、自動的にバランスがとれるようになる。一旦そうなったら、あなたは広場に行かなくても狭い道や路地、そして最も混雑したところへでも自転車で行くことが出来る。同じように、心の修練によって、人込みの中でも、又最も厳しい状況にあっても集中できるようになるのだ』  。

 『さまざまな想念は起ってくるものである。それと戦おうとしてはいけない。心は、戦えば更に反発する。瞑想の邪魔になるさまざまな想念は相手にせず、さりげなく瞑想に戻るのが一番である。

 『数日のうちにあなたはこの方法に慣れ、集中することの歓びを味わうようになるだろう。この瞑想を10分か15分、又は慣れてきたらもう少し楽しみ、歓びを味わいなさい。それによって、神への熱烈な信仰を高めることが出来る』

  
瞑想を終わったら、急に立ち上がったり、ばたばたと仕事に戻ったりしない。落ち着いて、ゆっくりと体を弛め、それから日常生活に戻るようにする。

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瞑想の時間

 「早朝がベストである。心が平静で、責任と言う重圧がない」
 『早朝、3時から6時の間はブラフマ・ムフールタ(ブラフマンの時間帯)と言われ、感覚が静かで、日常の喧騒にさらされていない。 又、今日は何時に瞑想し、明日は何時に瞑想する、と言うように時間帯を変えるべきではない。瞑想は、朝と夕、30分ずつである。一日中すると、数年後には、魅力を失ってしまう』
 『夜明け前の静かな時間、つまり3時から5時が最適だ。あるいは4時に起きてもよいだろう。
 瞑想のためには、先ず第一に眠気を去らなければならない。これは大切なことだ。又、時間を守るために、目覚し時計を4時にセットするようにしても良いだろう。それでも眠気が続くようなら、冷たい水で沐浴すれば良い。体を洗うことよりも、眠気を去ることが目的だ。
 こうして、瞑想の道を厳格に歩むならば、神の恩寵を速やかに得ることが出来るだろう』

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ソー・ハム瞑想

 ソー・ハムとは、「彼である(ソー)、私は(ハム)」という意味であり、彼とは”神”に外ならない。この不変的なマントラは、誰にも適合する強力なマントラである。
『一息ごとにあなたは証言している。「ソー・ハム」すなわち「私は彼(神)だ」と。
あなただけではない。あらゆる存在がそうである。
 あなたが自分の呼吸を見つめ、この究極の心理を瞑想することで、「私」と「彼」は徐々に融合していき、もはや二つではなくなる。そしてソー・ハムは、原初音オームへと変容するのだ。
 ヴェーダは語る。このオームこそが普遍の創造主の象徴であり、あらゆる仮象の世界の背後にある唯一の真実なのだと』
 ここで、”オーム”のことをサイババはプライマル・サウンド(原初音、又は根本音〉と表現している。そこには、その昔、創造主ブラフマンがこの音を用いて今回の宇宙を創成したと言う意味が込められている。サイババは、ソー・ハム(私は神)と言う究極の心理を瞑想することにより、現実に私と神とは一つとなり、音自体も原初の音へと変容するのだと説く。

このマントラは、前半(ソー)を息を吸いながら、後半(ハム)を吐きながら、心の中で想う。というよりも、呼吸に意識を向けることにより、この音を”感じる”のである。呼吸自体が、ソー・ハム(私は神)と語る。それにより心は内側に向かい、このマントラの持つ意味とエネルギーは瞑想者の奥深くまで浸透する。
 サイババはこの瞑想法を、進んだ求道者向けの方法として位置付けている。ただし、実際には、光の瞑想の前の数分間をこの瞑想に費やす場合が多い。

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 光の瞑想(光明瞑想)

     光を想うことで、心と体は浄められる。
最初は目の前に置いたろうそくの炎を見つめるとよい。

『ランプやろうそくに火を灯し、その炎をまっすぐ見つめなさい。
                      
目を閉じた後で、その光を額から頭部に導きなさい。この光により、あなたは浄められる。
光を心臓に下ろしなさい。あなたのハートは蓮の花であり、光が近づくにつれ、その花弁が一枚、又一枚と開いていく。あらゆる想念が浄められ、悪い感情は追い出される。
今、ハートに暗闇の留まる場所はなくなった。
光はより大きく、より輝きを増して、体の他の部分を移動する。

光が手に移ると、もうその手で悪いことは出来なくなる。

光が足に移ると、もうその足は愛の道具となる。

光を舌に持ってきなさい。その舌は、正しいことだけを語る。

光を目に移しなさい。目は善いものだけを見る。

光を耳に移しなさい。耳は善いことだけを聞く。それらは、明るい純粋な感覚のみを受け入れるようになる。
 光りは再び頭部に戻り、頭が光で充たされる。悪い想念は逃げ出してしまう。
 光りはますます輝きを増し、外に向かう。両親、親戚、友人、あなたの愛するものたちが、愛の光で充たされる。そして、敵や動物、植物、ありとあらゆる生き物、全世界が光で充たされる。
 形あるもの全ての中に、自分の中にあったその同じ光がある。
 あなたは光の中にある。光りはあなたの中にある。あなたは光なのだ』

『この瞑想を、最初は毎日数分行ないなさい。そして、自分の感じる至福の程度に応じて、徐々に時間を延ばしていきなさい』

「バジャンは、ボージャナ(食事)よりも大切である。祈りは、食事よりも重要だ。
バジャンは愛と歓び、そして至福をまき散らすものでなければならない。汚された大気を浄化し、皆が歓びと平安を分かち合うべきものである。わたしは、他の何よりもバジャンから至福を得るのだ。だからこそ、わたしはバジャンの必要性を説いている。一瞬一瞬を、エネルギーと情熱で温め努力せよ」

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